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  제  목 : 今週の御言葉(毎日世界へ伝えられる福音のメッセージ)第108回 조회수 : 6
  작성자 : Barnabas 작성일 : 2026-03-21

使徒の働き 19:1–7

アポロがコリントにいたとき、パウロは上の地方を通ってエペソに来て、ある弟子たちに出会い、彼らに言った。「あなたがたは信じたとき、聖霊を受けましたか。」すると彼らは言った。「いいえ、聖霊があることさえ聞いたことがありません。」パウロは言った。「それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか。」彼らは答えた。「ヨハネのバプテスマです。」パウロは言った。「ヨハネは悔い改めのバプテスマを授け、民に、自分の後に来る方、すなわちイエスを信じるように言いました。」彼らはこれを聞いて、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らに手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語り、また預言した。全部でおよそ十二人であった。

バプテスマのヨハネが水のバプテスマを授けたとき、彼はこう言った。「私はあなたがたに水でバプテスマを授けるが、私の後に来られるイエス・キリストは、あなたがたに聖霊でバプテスマを授ける。」

この御言葉を通して私たちが悟るべきことは、水のバプテスマは聖霊のバプテスマを受けるための前段階であるということである。

水のバプテスマは、罪の中に生きていた者がイエスのうちに新しい命に生まれ変わるべきであることを示す宗教的な儀式である。

水のバプテスマを通して、私たちは悔い改めの重要性をより深く悟るのである。

しかし、罪を悔い改めず、ただ形式的な水のバプテスマだけを受けることには何の意味もない。

水のバプテスマを受けていなくても、悔い改めるときに聖霊のバプテスマを受けることができる。

そして、すでに聖霊のバプテスマを受けた者は、より初歩的な段階に属する水のバプテスマを受ける必要はない。

たとえるならば、独学で中高生の実力をすでに身につけた者が、再び小学校に入学する必要がないのと同じである。

水のバプテスマは罪を悔い改めるよう助ける手段であり、悔い改める者は聖霊のバプテスマを受けるのである。

聖霊を受けるとき、聖霊は私たちのすべての人生を天国へと導かれる。

聖霊は私たちに聖書の御言葉を悟らせ、その御言葉に従うことができるよう力を与えてくださる。

聖霊の助けなしには、だれも世の無数の誘惑やサタンに打ち勝つことはできない。ゆえに、すべてのクリスチャンは必ず聖霊のバプテスマを受けなければならない。

聖霊はキリストの霊である。キリストの霊を持たない者は決してキリストの人ではないと聖書は語っている。

ローマ人への手紙 8章9節
「もし神の御霊があなたがたのうちに宿っているなら、あなたがたは肉にあるのではなく、御霊にあるのです。キリストの御霊を持たない者は、キリストのものではありません。」

水のバプテスマは私たちを直接救うものではなく、悔い改めへと導く手段である。

悔い改める者に聖霊が臨み、聖霊がクリスチャンを救いの道へと導かれる。

しかし、聖霊を受けた者の中にも、聖霊の導きに従わない者が多くいる。

それはだれか。

彼らは水のバプテスマと聖霊のバプテスマを受けながらも、キリストの御言葉に従わず、愛の実を結ばないクリスチャンである。

彼らは熱心に教会に通うが、人間の高慢を捨てず、隣人を赦さず、世の欲を捨てず、悪い生活をしながら悔い改めないクリスチャンである。

サタンは人間の教理を作り出して、このようにクリスチャンを堕落させるのである。

人間の教理は聖書の御言葉を無視する。彼らは一度イエスを信じればすでに天国の民になったと言い、人が生まれる前から救われる者と救われない者を神がすでに分けていると主張する。

このような偽りの理論は捨てなければならない。イエスの御言葉に反する人間の教理を捨ててこそ救われるのである。

聖霊を受けたからといって無条件に天国に行くのではない。聖霊の導きに従って従順に生きなければならない。聖霊の導きは私たちに日々悔い改める生活をさせるのである。

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使徒の働き 19:8–10

パウロは会堂に入って三か月の間、大胆に神の国について論じ、説得した。しかし、ある者たちは心をかたくなにして従わず、群衆の前でこの道を悪く言ったので、彼は彼らから離れ、弟子たちを別にして、ツラノの講堂で毎日論じた。これが二年間続き、アジアに住む者はユダヤ人もギリシア人も皆、主の言葉を聞いた。

パウロは会堂に入り、神の国について語った。神の国とは天国であり、どのようにして天国に入るのかを、パウロは会堂に集まった人々に明確に説明したのである。

当時、会堂は神を礼拝し、神の御言葉を教える場所であった。ユダヤ人は国難によって各地に散らされ、行く先々で会堂を建て、そこを神殿として神に礼拝をささげていた。

当時の会堂は今日の教会のような場所である。神の民がそこに集まり、神を礼拝し、神の御言葉を学んだ。会堂は不信者が集まる場所では決してなかった。

聖霊の導きに従い、パウロは神を礼拝する者たちに天国の福音を伝え、イエス・キリストを通して天国に入らなければならないことを教えた。

彼の教えの中心は、ただイエス・キリストのみが救い主であるということであった。

すべての神の民は罪を悔い改め、イエスの血によって罪の赦しを受けなければならず、またイエスを救い主として受け入れた者は、互いに赦し合い、愛し合いながら、イエスの御言葉に従って生きてこそ天国に入るのである。

パウロは聖書の御言葉に基づいて救いの福音を宣べ伝えた。

会堂でいのちの福音が宣べ伝えられたとき、それを受け入れる者もいれば、受け入れない者もいた。

心のかたくななユダヤ人たちは福音を拒んだ。彼らは組織的に立ち上がり、使徒パウロに反対し、彼の説教をそしったので、パウロは他の場所へ行かなければならなかった。

神を礼拝する者たちが神の御心を拒んだのである。

今日でも教会の講壇でイエスの御言葉がそのまま宣べ伝えられると、それを聞きたくなく反対する者がいる。そのような教会員はサタンに属する者である。

彼らは世の欲に従って生き、心は非常に腐敗し、高慢である。

彼らにとって、罪を悔い改め、主の御言葉に従って生きることは非常に難しく重荷なのである。

そのため、このような偽りの信者は、悔い改めも従順もなく、教会に通うだけで天国に行けるという人間の教理を好み、それに従うのである。

教会の中には常に麦と殻が共存しているが、終わりの日に麦は天国へ行き、殻は地獄へ行くのである。

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使徒の働き 19:11–16

神はパウロの手によって特別な奇跡を行われた。彼の体に触れた手ぬぐいや前掛けを病人に当てると、病気が去り、悪霊も出て行った。ところが、さまよい歩くユダヤ人の祓魔師の中にも、悪霊につかれた者に主イエスの名を唱えて、「パウロの宣べ伝えるイエスによっておまえたちに命じる」と言う者がいた。ユダヤ人の祭司長スケワの七人の息子たちもこのことを行っていた。すると悪霊が答えて言った。「イエスは知っているし、パウロのことも知っている。だがおまえたちはだれだ。」そして悪霊につかれた人が彼らに飛びかかり、押さえつけて打ち負かしたので、彼らは傷つき、裸でその家から逃げ出した。

パウロが福音を宣べ伝えるとき、不思議なことが起こった。パウロの手ぬぐいを病人に当てると、その人は癒された。これは神がパウロと共におられることを示し、彼を通して福音が宣べ伝えられていることをすべての人に知らせたのである。

聖霊の奇跡、しるし、賜物は、福音を効果的に伝えるための手段である。聖霊の力によって自分の名を高め、自慢することは不法を行うことである。

パウロを通して現れる奇跡やしるしを見て、多くの者がその力を真似しようとした。信仰のない彼らがイエスの名によって悪霊を追い出そうとしたとき、悪霊につかれた者が飛びかかり、彼らを打ち負かした。彼らはかえって縛られ、打たれ、裸で逃げ出した。

悪霊は霊的な存在であり、人間よりも強い。したがって、人間の力で悪霊を追い出すことはできない。

しかし、イエスを唯一の救い主と信じ、悔い改め、イエスの御言葉に従う者は、イエスの力によって悪霊を制し、追い出すのである。

パウロはイエスの権威と力によって病を癒し、悪霊を追い出した。

聖霊に満たされるとき、私たちもこのようなことができる。なぜなら、それは神がなさるからである。

罪を犯して悔い改めない牧師や信者は皆、罪の奴隷である。罪の奴隷は悪霊の奴隷である。悪霊の奴隷は、その主人である悪霊に勝つことはできない。

しかし、悔い改めて従うとき、悪魔の支配から離れ、神の子としての権威を回復する。

神の子の権威を回復した者は、使徒パウロのようにイエスの名によって悪霊を追い出すのである。

サタンも時に病を癒すことがある。これはサタンの惑わしである。サタンは偽預言者を通して病を癒し、それによって偽りの人間の教理を信じさせ、地獄へと引きずり込むのである。

テサロニケ人への第二の手紙 2章11–12節
「それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように惑わしの働きを送り、真理を信じないで不義を喜んだすべての者が裁かれるようにされるのです。」

主の御言葉に従わず、終わりまで奇跡やしるしだけを求める者たちは、神によってサタンの惑わしに委ねられ、裁きを受けるのである。

テモテへの第二の手紙 4章3–4節
「時が来ると、人々は健全な教えに耐えられなくなり…真理から耳をそらして、作り話にそれていくようになる。」

終わりの時に近づくほど、健全な教えを嫌う者たちは神の真理から離れ、ますますサタンの惑わしに従うのである。

ペテロの第二の手紙 2章1節
「しかし、民の中に偽預言者も起こりました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れ、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否み、速やかな滅びを自ら招きます。」

悔い改めと従順を嫌い、世の欲を優先する主のしもべたちは、やがて教会の中に人間の教理を持ち込む。このような者たちはイエスの御言葉を否定し、世の欲に従ってすべて滅びるのである。

一度イエスを救い主と告白したからといって天国に行けるのではない。最後まで世の誘惑に打ち勝ち、悔い改めと従順の生活を成し遂げてこそ天国に入るのである。

奇跡やしるしを行う者がすべて神のしもべではない。どれほど多くの力を行っても、イエスを唯一の救い主と信じず、罪を悔い改めず、不従順に生きる者はすべてサタンの支配の下にある。

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使徒の働き 19:17–20

このことがエペソに住むユダヤ人とギリシア人のすべてに知れ渡り、彼らは皆恐れを抱き、主イエスの名はあがめられた。信じた者の多くが来て、自分の行っていたことを告白し、明らかにした。また、魔術を行っていた多くの者がその書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その価値を計算すると、銀五万枚にもなった。このようにして主の言葉は力強く広まり、ますます勢いを得た。

悔い改めて主の御言葉に従うとき、聖霊を受け、聖霊が働かれるとき、すべての人に福音が宣べ伝えられ、救いの働きが起こるのである。

聖霊の働きが起こると、それを見聞きする者たちは大いに恐れ、罪を告白し、自分の人生を主に向けて変えるのである。

長い間魔術師に惑わされていた人々は魔術の書物を焼き、多くの魔術師がその行いをやめた。

聖霊の力が現れるとき、魔術は無力となる。

光が来れば闇は去る。

焼かれた書物の価値は銀五万枚に達し、想像を超える金額であった。これは福音が来る前にどれほど多くの人々が悪霊に支配されていたかを示している。

イエスを信じるとき、徹底的に悔い改めなければならない。完全な悔い改めと従順を成し遂げるとき、聖霊は想像を超える力で私たちを罪から救い出してくださる。

多くのクリスチャンが教会に通っているが、なおサタンにとらえられている。それは神の御言葉よりも世の快楽と名誉に従っているからである。

聖霊の力によって、私たちの魂を縛っている世のすべてのものを断ち切らなければならない。

悪魔の支配の下で信仰生活を送り礼拝することは、主に栄光を帰す信仰ではない。

私たちの心と生活が変えられ、聖霊が私たちの内に住まわれなければならない。聖霊が語られるとき、私たちは従わなければならない。聖霊はイエス・キリストの御言葉を思い起こさせ、罪を悟らせ、イエスの血の力を信じさせてくださる。主の導きに従い、日々悔い改め、従順に生きるとき、私たちは天国に入るのである。

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使徒の働き 19:23–29

そのころ、この道についてただならぬ騒動が起こった。デメテリオという銀細工人がアルテミスの銀の宮を作り、職人たちに多くの利益を得させていた。彼は同業者たちを集めて言った。「諸君、われわれの繁栄がこの仕事によることは知っているはずだ。ところが、このパウロはエペソだけでなく、ほとんど全アジアにわたって多くの人々を説得し、手で作ったものは神ではないと言っている。これはあなたがたも見聞きしているとおりだ。このままでは、われわれの商売が信用を失うだけでなく、偉大な女神アルテミスの神殿も軽んじられ、全アジアと世界があがめているその威光も失われてしまうだろう。」彼らはこれを聞いて激しく怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と叫んだ。町全体が混乱に満ち、彼らは一斉に劇場に押し寄せ、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを引き連れて行った。

使徒パウロは各地で福音を宣べ伝えながら、創造主なる神のみが神であり、人の手で作られた像は神ではないと宣べた。

像を作ってそれを神として売り、多くの利益を得ていた者たちは大きな危機に直面した。

彼らは自分たちの利益を守るために使徒パウロに敵対した。だれもが偶像を捨てて神を信じなければ、滅びから逃れ救われることはできない。

しかし、金や名誉や世のものに縛られている者たちは、いのちの福音を受け入れず拒む。それは罪の赦しと救いを拒むことである。

人間が作り出したすべての宗教と偶像は、創造主なる神を信じることを拒み、救いを拒むことである。

これよりもさらに深刻な問題は、教会に通うクリスチャンたちが神の御言葉を聞くことを拒むことである。

今日、多くの牧師や信者たちが聖書の御言葉を退け、人間の教理に従っている。

人間の教理は教会の中の偶像である。

人間の教理も神は愛の神であると強調するが、彼らは互いに愛さない。愛さないことは罪である。罪を犯した者は皆、悔い改めてイエスの血によってその罪を洗わなければ救われない。

しかし彼らは、生まれる前からすでに救われていると主張し、日々罪の中に生きながら悔い改めない。主の御言葉に逆らっているのである。

世の人々が偶像を神として拝むことよりも深刻なのは、教会の中にいる者たちが聖書の御言葉に従わず、人間の教理に従っていることである。

人間の教理は唯一の神を三つに分ける。このような信者は聖霊の臨在を感じることができない。破綻した信仰である。

唯一の神を信じ、その御言葉に従うことが唯一の救いの道である。救いの道を歩むクリスチャンは、常に聖霊の共におられることを体験し、感じるのである。

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使徒の働き 20:17–21

パウロはミレトスからエペソに人を送り、教会の長老たちを呼び寄せた。彼らが来たとき、彼はこう言った。

「あなたがた自身が知っているとおり、私がアジアに入った最初の日から今に至るまで、どのようにあなたがたの間で行動してきたか。すなわち、すべてのへりくだりと涙をもって、ユダヤ人のたくらみによって受けた試練に耐えながら主に仕え、あなたがたの益になることは何一つためらわず、公の場でも家々でもあなたがたに伝え教え、ユダヤ人にもギリシア人にも神に対する悔い改めと私たちの主イエス・キリストに対する信仰を証ししてきたことである。」

パウロはへりくだりと涙をもって福音を宣べ伝えた。ユダヤ人たちが絶えず策略を巡らせ彼を迫害したが、彼は屈することも妥協することもなかった。パウロは最後まで純粋な福音を宣べ伝えた。

人々が救われるために必要な神の御言葉を、パウロは何一つ残さず伝えた。偶像を神のように拝む者たちに、「偶像は偽りである。偽りを捨て、ただ神のみを信じよ」と宣べることは決して容易ではなく、命をささげてこそできることである。

自らの命をささげながら、パウロは偶像礼拝をする者たちに神の前で自分たちの罪を悔い改めるよう促した。そのために受けた迫害は言葉では言い表せない。

彼はイエス・キリストこそ神ご自身であると教え、すべての人が悔い改めてイエスの血によって罪を清められてこそ救われ、天国に入ることができると宣べた。

これはイエスを救い主として受け入れないユダヤ人たちの怒りを引き起こした。彼らは使徒パウロを激しく迫害した。

そのため、偶像を拝む異邦人たちと、イエスを救い主と信じないユダヤ人たちが結託してパウロを迫害した。

その結果、使徒パウロは日々いばらの道を歩み、常に死に直面していた。

全世界はサタンの支配の下にある。罪によってサタンが支配している。このサタンが支配する世界でいのちの福音を伝えるためには、私たちは自分の命を捨てなければならない。

世の人々は金と快楽と名誉にとらわれており、多くの教会は人間の教理に縛られている。これは聖書に記された終わりの時の状態である。

このような世界で救われるためには、世の誘惑に打ち勝ち、妥協せずに唯一の神を信じなければならない。

それはただイエスの御言葉に従うことである。イエスの御言葉とは何か。

日々自分の罪を悔い改め、隣人と和解するよう努め、へりくだった清い心を世の終わりまで保つことである。すべてのクリスチャンは世の光と塩の役割を果たさなければならない。それは善い行いと平和をもたらすことであり、他人を傷つけない生き方をすることである。

人間の教理はサタンの惑わしである。それによってサタンは人々に外見だけでイエスを信じさせる。その結果、多くのクリスチャンの心と生活は堕落し、利己的に生きるようになる。

人間の教理に陥ったクリスチャンは神から遠く離れている。最後まで悔い改めないなら、ついには神のさばきを受けて滅びるのである。

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