| 제 목 : 今週の御言葉(毎日世界へ伝えられる福音のメッセージ)第99回 | 조회수 : 3 |
| 작성자 : Barnabas | 작성일 : 2026-01-17 |
ヨハネによる福音書 19:30-34 イエスは、この酸いぶどう酒を受け取ると、<u>「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。その日は準備の日で、翌日の安息日は大きな祝日であった。ユダヤ人たちは、安息日に死体が十字架に残らないように、足を折って取りのけてくれるようにピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男の足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を突き刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。</u> * イエスが十字架につけられて死ぬ時、最後に叫ばれました。「成し遂げられた」。この言葉は、イエスが十字架で死なれることで、人類の罪をすべて贖われたという意味です。創世記から始まり、旧代の多くの預言者を通じて約束されていた人類の救済の業を完成されたのです。
創世記 3:15 「お前と女の間に、またお前の末と女の末の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」
エデンの園でアダムとエバが罪を犯し、彼らの霊が死んだとき、神は人間の肉体を着て世に来られ、人類のすべての罪の代わりに死ぬことを約束されました。イエスは十字架で息を引き取られるとき、その約束を成就したと叫ばれたのです。
ガラテヤの信徒への手紙 4:4-5 「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から生まれた者、律法の下にある者としてお遣わしになりました。それは、律法の下にある者を買い取って、わたしたちを神の子とするためでした。」
神はその御子を女の末として生まれさせ、十字架で死なせ、律法によって死んだ人類を救って神の子らとされるようにされました。 ですから、誰でもイエスの血を信じて悔い改める者は、すべて赦され、救われ、神の子供となり、天国に行くのです。人類の罪を贖われた御子は、神ご自身です。決して別個に存在する神ではありません。霊と言葉として存在しておられた神が、マリアの体を通じて人間の肉体を着て世に生まれられました。御子の名を持って世に生まれられた神が、イエス・キリストです。神の存在は決して二人や三人ではありません。唯一のお方です。ですから聖書は常に「唯一の神」と称しているのです。
イザヤ書 7:14 「それゆえ、主は自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」
すべての人間は男の種によって宿りますが、イエスは聖霊によって宿られました。その子の名は「インマヌエル」であり、その意味は「神が人間と共におられる」という意味です。イエスが世におられたということは、創造主である神が人間の肉体を着て、直接人間の中で生活されたということです。
イザヤ書 9:6 「ひとりのみ子、わたしたちに与えられた。権威はその肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」
マリアを通じて生まれたイエス・キリストは神の御子であり、その御子は結局、創造主である父なる神ご自身であると聖書が正確に明らかにしているのです。神が人間として生まれた目的は、人間の罪を赦して救うためでした。旧約聖書全体はこれについて語っています。主が定められた時に、神がイエスとして生まれ、十字架で死ぬことで、その約束をすべて成就されたのです。
イエスの贖いの恵みによって、すべての人類に救われる道が大きく開かれました。誰でも悔い改めれば赦され、天国に行く道がすべての人に開かれています。しかし、イエスを信じず、罪を悔い改めない者は救われることができません。ですから、イエスが最初に叫ばれたのは「悔い改めよ、天の国は近づいた」でした。
ヨハネによる福音書 20:21-23 イエスは重ねて言われた。「平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 * イエスは十字架で死に、再びよみがえられました。復活したイエスが弟子たちに現れ、このように言われました。 「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」これは神が二方おられるという意味では決してありません。 霊と言葉として存在しておられた神が、肉体を着て世に来られ、人々に福音を伝えられました。それと同じように、イエスがその弟子たちを世に送り、イエスが教えた救いの福音を人々に伝えなければならないということをこのように表現されたのです。 イエスは人類の罪を赦すために、人類の罪を代わりに背負って十字架で死なれました。これがイエスの絶対的な恵みと愛です。 この命の福音を伝える者は、必ず他人を赦し愛する心を持たなければなりません。イエス・キリストの心を持ってこそ、福音を伝えることができるのです。 世の利益や名誉を得るために教会を大きくし、牧会する者は、決してイエスの弟子になることはできません。 他人の命を救うために自らの命を犠牲にし、プライドや世の欲をすべて捨てて、ただイエスの愛を伝える者がイエスの弟子となるのです。 これは決して容易なことではありません。人間の能力では不可能であり、聖霊を受けなければできないことです。 聖霊が臨むとき、聖霊の能力によって、わたしたちは世の欲と人間の慢心を捨てて、主の救いと愛を確信を持って世に伝えることができるのです。 ですから主は、弟子たちに聖霊を受けなさいとおっしゃったのです。 聖霊を受けるには、まず悔い改めなければなりません。 罪を悔い改めない汚れた心に、聖なる聖霊は入ってこられません。 人間の教義は悔い改めと従順を教えません。教会に通えば無条件に天国に入ると主張します。彼らは聖書の言葉を歪曲しているのです。 イエスの言葉を捨てて人間の教義に従う者たちは、悔い改めずに生きるため、聖霊を受けることができません。このような教会員は形式的な信仰生活だけを維持し、最後の日には地獄に落ちるのです。
ヨハネによる福音書 20:24-27 十二弟子のひとりでディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。他の弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れ、また、この手をわき腹に入れない限り、わたしは決して信じない。」八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかかっていたが、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」 * イエスは十字架で死なれた後、その約束通り復活されました。弟子たちは、イエスを殺したユダヤ人たちを恐れて、ある場所に隠れていました。その時、復活したイエスが彼らの中に現れました。これを見た弟子たちは非常に驚き、喜びました。 その時、弟子のトマス一人だけが彼らと共にいませんでした。弟子たちが彼にイエスが復活されたことを告げました。 トマスはイエスが復活されたという知らせを信じられずに言いました。「わたしはイエスの手の釘跡を見、わたしの指をその釘跡に入れ、彼のわき腹の傷にわたしの指を入れてみなければならない。そうすれば、わたしはイエスが復活したことを信じる。」 そして八日後、イエスが彼らに再び現れました。 その時はトマスも一緒にいました。イエスがトマスに言われました。 「トマスよ、あなたの指をわたしの手に入れてみ、わたしのわき腹に入れてみなさい。そして、わたしの復活を信じなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」 その時、トマスはイエスの復活を信じたのです。
ヨハネによる福音書 20:28-29 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる者は、幸いである。」 * トマスは復活したイエスを直接見た後、イエスが神であることを告白しました。それまでは、彼はイエスと共に歩んで伝道していましたが、イエスが神ご自身であることを信じることができなかったのです。 イエスはおっしゃいました。「わたしを見て信じる者より、わたしを見ないで信じる者の方が幸いである。」 今、わたしたちは地上におられたイエスを見ることはできません。しかし、わたしたちはイエスを救い主として信じます。今日、イエスの言葉に従う者たちが、その当時イエスを見て信じた者たちよりも、主の恵みと愛をより多く受けるのです。 罪を悔い改め、聖霊を受け、聖霊の導きに従って生きる者が、天国でより大きな報酬を受けるのです。 聖霊は人間の目には見えません。しかし聖霊はわたしたちの中で働き、わたしたちに聖書を悟らせ、罪を指摘して悔い改めさせ、主の言葉に従う力を与えてくださいます。 聖霊の導きに従う者たちは、この地でも祝福を受け、天国に行って主と共に永遠に生きるようになるのです。
ヨハネによる福音書 20:30-31
イエスは、この書物に書いていないしるしを、ほかにも弟子たちの前で多く行われた。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
ヘブライ人への手紙 1:1-2 神は、かつて預言者たちを通じて、いろいろな時に、いろいろな方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時代には、御子を通じてわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を造られました。
その御子が万物の相続者であり、全世界を創造されました。 創造主である神が旧約時代にはヤハウェ(エホバ)の名で働かれ、最後の時には御子として世に来て働かれたのです。 その御子は人の子ではありません。全世界を創造された神です。 もし神と御子が別々に存在し、神も世界を造られ、御子も世界を造られたとしたら、この世界は二つでなければなりません。 しかし宇宙は一つしかありません。 これは、父なる神と御子は二人ではなく一人であるという結論です。 創造主である神が人間を救うために御子の名で世に来られ、人類の罪の代わりに死んで救いの業を成し遂げ、再び天国の御座へと昇られたのです。天国には神の御座は一つしかありません。
イエスを信じるということは、イエスの言葉に従うことです。 イエスに従うということは、イエスを神として信じることであり、イエスの言葉を基準として互いに赦し合い愛し合うことであり、わたしたちの至らない生活を悔い改めて常に赦されることです。
洗礼を受け、聖餐式を多く行い、宗教儀式をたくさん行い、頭の中に聖書の知識をたくさん蓄えることが救われることではありません。それは死んだ信仰です。 他人を赦し、自分が主の赦しを受けなければなりません。そして主の御心を実践するために常に努めなければなりません。そうすることが天国へ行く生きた信仰です。
ヨハネによる福音書 21:14-15
イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これで三度目である。彼らが食事を終えると、イエスはシモン・ペトロに言われた。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。 * イエスは復活された後、弟子たちに現れて彼らと共にパンと魚を召し上がりました。 復活されたイエスの姿は、将来わたしたちが持つ姿です。 わたしたちも世を去る時、復活されたイエスの体のように変化します。 命の復活を受けた者は、主のように美味しい食べ物も食べ、時空を超えて生きます。
この地で悔い改め従う者たちは、死ぬ時に弱く疲れ果てた体を脱ぎ捨て、永遠に疲れず、病まず、健やかな体へと変化するのです。 イエスの復活は、信仰を持つ者たちの生ける希望です。 その時を待ち望み、わたしたちは世のいかなる苦難や逆境も乗り越えなければなりません。 聖霊がわたしたちと共にいて助けてくださるので、わたしたちは主の御心に従うことができます。 ペトロが主を愛していると告白した時、主はペトロに言われました。 「あなたがわたしを愛するなら、わたしの小羊を飼いなさい。」 主の僕たちは皆、ペトロのように小羊を飼う使命を受けました。 小羊は牧師に託された神の民です。主の僕たちは聖徒たちに神の言葉を教え、模範を示し、彼らを天国へと導く責任を持っているのです。 主の僕たちがイエスの御心を悟らなければ、彼に託された教会員と共に滅びるのです。 イエスの御心は、イエスの愛をこの地上で実践することです。 イエスを救い主として信じる者は、イエスの他に救い主がいないという事実を信じ、隣人を赦し、善を施し、和睦を成し遂げることです。 しかし、主の御心に100%従う者はいません。ですから、わたしたち皆は悔い改め、心と力を尽くして主の愛の戒めを生活の中で実践しなければならないのです。 主の僕たちがこのような模範を示し、イエスの言葉を教えることが、イエスの小羊たちを世話し、飼うことなのです。
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