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  제  목 : 今週の御言葉(毎日世界へ伝えられる福音のメッセージ)第104回 조회수 : 34
  작성자 : Barnabas 작성일 : 2026-02-21

使徒の働き 8:35-40

ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスのことを宣べ伝えた。道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私が授けるバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」(なし)そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポは彼にバプテスマを授けた。二人が水から上がったとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはや彼を見ることができなかったが、喜びながら旅を続けた。ピリポはアゾトに現れ、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイサリアに到着した。 * イザヤの書と聖書全体を通して、ピリポはその宦官にイエス様が唯一の救い主であることを説明した。霊と言葉として存在しておられた創造主なる神様が、肉体を着て世に来られ、人類の罪に代わって十字架で死なれたということを、ピリポは彼に悟らせたのである。  

その宦官はピリポの言葉を聞いて聖書の御言葉を悟った。彼が、イエス様こそが唯一の神であり救い主であることを悟ったのである。彼はピリポに言った。「今、私がバプテスマを受けるのに、何の妨げが残っているでしょうか。」イエス様を救い主として告白し悔い改める者は、誰でもバプテスマを受けることができるのである。それでピリポは彼に水のバプテスマを授け、彼のもとを去った。  

まだイエス様を知らず信じていない者に、水のバプテスマだけを授けることは何の意味もない。家族や友人に付いて教会に通っているだけの者に水のバプテスマを授けることは意味がない。まだイエス様が唯一の救い主であることを悟っていない者に水のバプテスマを授けることは、急ぐべきことではない。  

信仰が全くない者が水のバプテスマを受け、聖餐式のパンとぶどう酒を食べたからといって、その人が救われるのではない。  

神様がイエス様として世に来られ、十字架で死なれたことを信じ、自分の罪を悔い改める者が、赦され救われるのである。

ゆえに、水のバプテスマを受けることよりも急務で重要なことは、真にイエス様を救い主として信じ、罪を悔い改め、主の御言葉に従うことである。罪を悟り悔い改めた者が水のバプテスマを受けてこそ、主の御前にふさわしいのである。  

(マルコの福音書 16:16) 信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。  

イエス様を救い主として確かに信じ、悔い改めてバプテスマを受けるとき、その人の救いが成し遂げられる。心でイエス様を信じていない者がただ水のバプテスマだけを受けるのは、形式的な信仰であり、救われていない信仰である。

(ローマ人への手紙 10:10) 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。  

心でイエス様を信じ、口でその信仰を告白してこそ、真実な信仰である。まだ心がイエス様を信じていないのに、ただ口だけでイエス様を信じると告白することは意味がない。すべてのクリスチャンは、世を去る時まで従順と悔い改めの人生を歩まなければならない。このような信仰生活が、最後までイエス様を救い主として認め、天国に入る信仰だからである。数十年間イエス様をよく信じていたが、最後の瞬間に人間の欲に捕らわれ、悔い改めの人生を逃す者は、天国の民となることはできない。イエス様の御言葉を常に覚えなさい。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」  

使徒の働き 9:1-5

さて、サウロはなおも主の弟子たちに対する脅かしと殺気とを激しく燃やして、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに連行するためであった。サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」 * 使徒パウロがイエス様を知らなかったとき、極度に教会と聖徒たちを迫害した。彼はユダヤ人の伝統に従い、習慣的に神を信じる宗教人であった。彼は神様が生きておられることを体験しておらず、神様の御言葉を悟っていなかったのである。それで彼はイエス様を信じ悔い改めて聖霊を受けたクリスチャンたちをあまりにも憎み、極度に迫害したのである。 彼は人間の教義に捕らわれ、イエス様を信じ悔い改めて聖霊を受けたキリスト教徒たちを異端として扱った。それで彼は、神のいないユダヤ宗教に忠誠を尽くすため、神を悟ったキリスト教徒たちに会うたびに迫害し、牢に閉じ込めた。これは彼がサタンの僕として生きていたからである。

彼はクリスチャンに対する敵対心がずっと解けなかった。それで彼は、外国へ逃れたクリスチャンたちを逮捕するために大祭司のもとへ行き、逮捕状を発行してもらってダマスコへと急いだのである。彼の一行が目的地に近づいたとき、イエス様が突然彼に現れて言われた。「サウロ、サウロ、なぜあなたはわたしを迫害するのか。」サウロは神様に忠誠を尽くすためにそれほど熱心に努力したのだが、それはかえって神であられるイエス・キリストを迫害することであった。 その時、サウロはイエス様が神であることを悟り、その名をサウロからパウロに変えた。その時から、彼はただイエス様のために生きたのである。今日、キリスト教徒の中には聖書の御言葉を捨てて人間の教義を信じる者が多い。このようなキリスト教徒たちは、イエス様に会う前のサウロのように生きているのである。  

このような教会員たちは事実上、神の子ではない。神に敵対する者たちである。このような牧師や教会員たちは、「一度の救いは永遠の救いである」と主張する。「一度神の子として選ばれたなら、無条件で天国に行く」と主張する。そのため、このようなキリスト教徒たちは主の御言葉に従うこともせず、罪を悔い改めることもしない。その理由は、神の救いは決して取り消されることはないと考えているからである。  

今、人間の教義を信じる者たちは、初代教会の時に聖霊の働きが終了したと主張する。そのため、彼らは聖霊に満たされたクリスチャンたちをかえって異端として扱うのである。  

しかし、イエス・キリストに属する者が天国に行くのである。イエス様の御霊が聖霊である。聖霊を受けて完全な悔い改めを成し遂げた者が天国の民となるのである。イエス様の御言葉に不従順で悔い改めない教会員たちは、悪魔の子供として残っているのである printer。すべてのクリスチャンは徹底した悔い改めを通してイエス様の御霊を受けなければ救われない。イエス様の御霊がない者は、決してイエス様に属する者ではないからである。  

(ローマ人への手紙 8:9) しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいます。もしキリストの御霊を持たない人がいれば、その人はキリストのものではありません。  

すべての人間の教義を捨て、イエス様の御言葉を信じて悔い改め、従順であってこそ天国に行くのである。人間の教義は偽りの真理であり、神の民を堕落させ滅ぼすサタンの道具である。  

使徒の働き 10:28-29

彼らに言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪ねたりするのは律法にかなわないことです。ところが神は私に、どんな人のことも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。それで、お迎えをいただいたとき、ためらわずに参りました。そこで伺いたいのですが、どのようなご用で私を呼ばれたのですか。」 * 旧約時代はユダヤ人だけが神の選民であったため、ユダヤ人は異邦人と付き合わなかった。ユダヤ人が異邦人と交際することは法で禁じられていた。しかし神様は、全人類を救うために人間の肉体を着て世に降りてこられ、十字架で死なれた。その時から、全人類に対して差別のない救いの道が大きく開かれたのである。イエス様は肉体を着られた創造主なる神様自身である。それゆえ、イエスの血は無限の赦しの能力を持っているため、誰でもイエス様を信じれば救われるようになるのである。  

(コロサイ人への手紙 1:15-18) 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座であれ、主権であれ、支配であれ、権威であれ、万物は御子によって造られたからです。万物は御子によって、御子のために造られました。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。それは、御子がすべてのことにおいて第一の者となられるためです。  

全人類と万物を創造された神様が、人間の肉体を着て十字架で死なれ、贖罪の血を流された。この時から、ユダヤ人だけでなく異邦人までもが、イエス様を信じ悔い改めれば、誰でも救われるようになるのである。それで神様がペテロに命じられる際、「誰に対しても汚れている」と言うなと命じられたのである。異邦人たちも悔い改めさえすれば、イエスの血ですべてきよくされる。それゆえ、人間が他の人間を裁いてはならないのである。最後まで悔い改めない者は、その人が死んだ後、神様が直ちに彼を裁き、地獄の火に投げ込まれる。それまでは、誰も他人を裁いてはならないのである。イエス様の恵みにより、世に生きているすべての者は常に悔い改める機会を持っている。皆が世に生きている間に、イエス様を信じ悔い改める機会を逃してはならない。これを逃せば地獄に行くのである。地獄に行ってから悟り、悔い改めるのはあまりにも遅い。取り返しのつかない状況になるのである。  

(使徒の働き 11:18) 人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは神は、異邦人にも、いのちに至る悔い改めを与えてくださったのだ」と言って、神をほめたたえた。  

ペテロが神の御心に従って異邦人に初めて命の福音を伝えたとき、彼の同労者たちまでもがそのことに反対した。その時、ペテロは神様がそのように導かれた過程を詳しく説明した。すると彼らはそれを聞き、神様の無限なる救いの計画を悟ることになったのである。  

使徒の働き 9:31-35

こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり、平和を保ち、築き上げられていった。そして、主を恐れ、聖霊の慰めに励まされて歩み、信者の数が増えていった。ペテロは至る所を巡り歩いたが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。そこで、アイネアという人に出会った。彼は中風で、八年の間床についていた。ペテロは彼に言った。「アイネア、イエス・キリストがあなたを癒やしてくださいます。起きなさい。自分で床を整えなさい。」すると彼は直ちに起きた。ルダとシャロンに住む人々は皆、彼を見て、主に立ち返った。 * 無慈悲に教会を迫害したサウロがイエス様に会い、その時からイエス様の福音を証しする者に変化した。これにより、すべての教会が力強く立ち、平和になった。聖徒たちが主を恐れ、聖霊の慰めの中で信仰生活を送ったのである。使徒パウロがイエス様に会う前に教会をひどく迫害したが、神様がそのような苦難を教会員たちに許された理由がある。その苦難を通して、教会員たちが神様が生きておられることを悟り、従順を学ぶのである。 苦難はイエス様を信じ、神を恐れる訓練である。神を恐れるということは、罪を悔い改め、主の御言葉に従うことである。隣人の過ちを赦し、互いに譲り合い、和睦を成し遂げることが真実な信仰なのである。誰でも初めてイエス様に会ったとき、いくらかの人生の変化が起こる。しかし、それは完全な変化ではない。世のものをより優先し、世の快楽や名誉をより愛する心が残っているのである。これが罪悪の苦い根である。しかし、患難と苦難が近づくとき、高慢と罪悪の根が消え去るのである。 初代教会の聖徒たちが多くの患難と苦難を通り抜けながら、神を恐れることを学んだのである。そうしたとき、神の平安と聖霊の慰めが彼らに溢れるほどに臨んだ。その時、ペテロは活発に福音を四方に宣べ伝えた。ペテロが主の指示を受けて祈ったとき、一人の中風の患者が癒やされた。それはペテロ自身の能力ではなく、主の能力であった。悔い改め、従順することを学ぶ民たちに、天国へ行く信仰を加えるために、主はその中風の患者を見本として癒やされたのである。 神様は明確な目的を持って、クリスチャンに病気を与えたり、癒やしたりもされる。苦難と病気は、私たちに罪を悔い改めさせ、従順させるように作る懲らしめの道具である。ペテロは人間の意志でその中風の患者を癒やしたのではなく、主の命令に従って行ったのである。その中風の患者が、ペテロを通して与えられる命の御言葉を受け入れたとき、主が彼を病気から解放してくださったのである。恩辞や能力や預言を神様の御言葉より優先させてはならない。最初の一、二回は可能かもしれないが、継続するものではない。主の御言葉に従う信仰に戻るとき、すべての問題が解決されるのである。  

使徒の働き 10:30-35

コルネリオは言った。「四日前のこの時刻、私が家で午後三時の祈りをしていますと、突然、輝く衣を着た人が私の前に立って、こう言いました。『コルネリオ、あなたの祈りは聞き届けられ、あなたの施しは神の御前で覚えられている。ヨッパに人を送って、ペテロと呼ばれているシモンを呼びなさい。その人は海辺にある、なめし職人シモンの家に泊まっている。』それで、すぐにあなたに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今、私たちは皆、主があなたに命じられたすべてのことを聞こうとして、神の御前に集まっています。」そこでペテロは口を開いて言った。「私は本当によく分かりました。神は人を分け隔てなさる方ではありません。どの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。」 * コルネリオは異邦人であったが、主に祈る者であった。ある日突然、天使が彼に現れて言った。「コルネリオよ!神様はあなたの祈りを聞かれ、あなたが施しをするのを見られた。速やかに人をヨッパに送り、そこに滞在しているペテロを招いてあなたの家に来させなさい。彼から命の御言葉を聞きなさい。」それと同時に、一人の天使がペテロに現れて言った。「ペテロよ、あなたを招待する者がこの家の門の前に来た。疑わずに彼に付いて行きなさい。そこへ行って命の御言葉を伝えなさい。」これは全能なる神様の働きである。  

新約時代は、すべての異邦人が救われる時代である。イエス様が全人類のために十字架で死なれた。これにより、誰でも信仰によって救われるのである。生きた信仰を通して、皆が救われなければならない。生きた信仰とは、神様がイエス様として来られたことを悟り、イエス様の愛を実践することである。生きた信仰は隣人の過ちを赦し、徳を及ぼし、正しく生きて和睦を成し遂げることである。しかし、すべての人間は不足している。そのため、主の御言葉に満たない部分を常に悔い改めなければならない。これが生きた信仰である。

コルネリオが主の御心にかなうように生きたため、主が彼を覚えられ、彼の信仰をより完全なものにされたのである。イエス様はペテロを彼のもとに送り、命の御言葉を聞かせ、彼を聖霊に満たしてさらに従順な人生を歩ませられたのである。これが生きた信仰である。死んだ信仰は天国に行くことができない。当時、律法学者やパリサイ人たちは、聖書の言葉を丸ごと暗記する者たちであった。しかし、彼らはイエス様の御言葉に不従順であり、主の愛を実践しなかった。このような形式的な信仰を持つクリスチャンに、聖霊は来られない。聖霊を受けていない者は救われないのである。 聖書の御言葉を記憶する目的は、主の愛を実践するためのものである。しかし、多くのクリスチャンが主の愛を実践しない。そのため、大部分の教会員が死んだ信仰で生き、地獄に行くのである。イエス様がコル네リオに行われたことを通して、私たちは主の御心を明確に悟らなければならない。主は私たちに、主の愛を実践することを望んでおられる。主の愛を実践しない信仰は死んだものであり、死んだ信仰を通しては誰も天国に行くことができないのである。すべての人間の教義は悔い改めと従順を教えない。これらはサタンによって作られるものであり、無数の聖徒を惑わして悔い改めと従順を成し遂げられないようにするのである printer。  

使徒の働き 10:42-45

イエスは私たちに、民に宣教し、この方こそ生きている者と死んだ者との審判者として、神によって定められた方であることを証しするように、命じられました。イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられると証ししています。ペテロがまだこれらのことばを話し続けていたとき、みことばを聞いていたすべての人に聖霊が下った。ペテロと一緒に来た、割礼を受けている信者たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので、驚いた。 * 主の弟子たちやすべての預言者たちが宣べ伝えた福音とは何か。それは、イエス・キリストが唯一の救い主であり、審判者であるということである。なぜイエス様だけが救い主であり審判者なのか。それは、イエス様が人間の肉体を着て世に来られた神様だからである printer。  

創造主なる神様が人間を創造し、人間が守るべき律法を定められた。神の律法を守る者は生き、守らない者は死ぬように、神様が最初から定められたのである。主はすべての人間が主の愛の律法を守って生きることを望まれた。しかし人間たちは、神の律法を破り死の道を選択したのである。神様は滅びゆく人間たちを不憫に思われた。  

それで、神様が人間の肉体を着て世に降りてこられ、人間の罪を赦すために十字架で死なれた。イエス様の十字架の贖いの恵みにより、誰でも悔い改めれば救われるようになるのである。これは、罪によって滅びる人間が一人もいないようにと神様が処置されたことである。しかし、この救いの道を受け入れない者が世の中にはあまりにも多い。クリスチャンの中にも、これを確実に信じられない者が多いのである。主は最後まで悔い改めない者たちを裁かれる。  

イエス様がその命を捧げて救いの道を人間に用意してくださった。しかし、救いの道を拒否し無視する者は決して救われない。罪を犯しても悔い改めない者は、厳重な律法の裁きを受けて滅びるのである。人間を救い、裁かれる方は、ただイエス様お一人である。イエス様の根本は神ご自身である。  

(フィリピ人への手紙 2:6) キリストは神の御姿であられる方なのに、神と等しくあることを、固執すべきこととは考えず…  

(コロサイ人への手紙 1:15) 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です…  

(ヘブル人への手紙 1:3) 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪の浄めを成し遂げて、高き所にいらっしゃる、至大の方の右の座に着かれました。  

すべての人間は罪人であり、イエス様を信じなければ罪によって皆滅びるのである。人間は他の人間を救うことはできない。すべての人間を救い裁く権威は、ただイエス様にのみある。イエス様は人間の肉体を着られた神ご自身である。人間が作ったすべての教義は聖書の真理に反対する。これはサタンに属するものであり、人間の救いを妨げるものである。

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